宗教(人間を三位一体の神の生まれ変わりと崇拝して従う)は悪なのか? 絶対的な何かにすがりたい人達について 良い方向に向かう意志があるだけマシ


この宗教の話をする前に人間が原住民のような暮らしをしていた頃は、現在でもブラジル奥地にも存在するが「Me(私の)」が存在しなかったと言われているのである。

それは自分の物、自分の〇〇という概念が存在していなかったのである。

 

自然界の動物と同じ、調和のとれた地球が存在していたとされるのである。

 

それが、人類に何があったのかは知らないが(宇宙からの影響)

争いばかりの過去から現在までの人類が存在するのである。

 

人間が起こす犯罪のほとんどが元を辿ればSelf(me)によって引き起こされているのである。

それを神という絶対的なもの法に従う事で、自身を律しようという事が宗教の考え方である。

 

それは歴史を見ると民衆から金を集めるだけが目的の免罪符となり、時には異端を排除しようとする思考から宗教戦争を引き起こしているのである。

 

ここで思惟と表象の事を左脳と右脳と言い換える事ができる

 

思惟とは論理的な言語を通じて真理を把握する作業 つまり哲学の事である。

表象とはイエスとか三位一体とか、エルカンターレなどの絶対的な何かのイメージを通じて真理を把握しようとする事である。 つまり宗教である。

 

ここで一つ言えることがあるのである。

自分の上に絶対的な何かがいて、それに従う事は犬でもできる事なのである。

つまり、絶対的な何かが人間である以上、必ず間違いを犯すという事である。

 

それを神だ神だとありがたがっている信者の方々には申し訳ないが、それは完璧のものなのでしょうか?

 

もし、人間にしかできない事があるとするならば、思考する事である。

人間には過去の行いによって生まれた現象によって反省する事もできるし、何が悪で何が悪い事なのか

それを判断する事は容易なのである。 どんなにSelfが強い人間でも必ずは皆が真理に行きつけると筆者は考えている。

 

なぜなら人間は生きている過程で幸福を求めない人間は存在しないからである。

 

その道を歩むには善を行い続けるしかない事に自分の頭で辿り着くことができる人間に絶対的な何かは必要なのでしょうか?

 


 

 

 

 

おまけ

何が悪いか良いかなどは一度失敗した人間にしか本当の意味で悟れない事も存在する。決して誰かに言葉だけ聞いても真に理解する事はないだろう。

そうやって魂は大昔から成長して磨かれてきたのではないでしょうか?

的外れた事ばかりやる実践実学のA氏が宗教は良いよ!。入院中に伝えてきたという。

ここで批判している事は宗教団体ではなく宗教という概念についてを批判してるだけである事はバカでなければすぐ分かる事だろうが。

コミュニティの存在については筆者も悪いものだとは思っていない。 ただ方向がおかしいという話である。

 

 

 

 

 

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